日本住血虫が最初に書かれた本「片山記」を読んでみる

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お魚ガチが書きました
歩き方

自然大好き一家で自然保護協会家族会員。自然観察指導員 。熱帯魚はベタ、日本淡水魚はタナゴその他を20本以上の水槽で飼育中。
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「片山記」とは

片山 グーグルマップより

日本住血吸虫について日本で最初に記載された本が片山記です。

弘化4年(西暦1847年)6月、医師の藤井好直が32歳の時に広島県芦田川と高屋川の合流する付近の村々で昔から発症している不思議な難病について記載した文章になります。

藤井好直は備後国沼隈郡山手村(現在の広島県福山市)に住む漢方医でした。調べれば調べるほど原因不明だったためにこの片山記を書いています。片山記は原文は消失していますが、写しが残っているようです。漢文で記載されています。

※『片山記』原本の焼失 京都帝国大学(現・京都大学)医学部教授の藤浪鑑は、藤井家から好直直筆の『片山記』原本を借りていました。ところが、1925(大正14)年、京都帝国大学医学部校舎が火災により全焼、藤浪の研究資料とともに貴重な『片山記』原本も焼失してしまいました。
    
※周恩来が「藤井好直」に言及 日中間に国交がなかった1955(昭和30)年、日本の医師団が中国を訪問しました。中国の周恩来首相と会談した際、周恩来は「中国人民の健康被害が大きい日本住血吸虫症(中国名:血吸虫病)について聞きたい。中間宿主の貝は、発見者・宮入慶之助(みやいり けいのすけ)の名にちなみ『ミヤイリガイ』、または、藤井好直の本『片山記』の名前から『カタヤマガイ』と呼ぶと聞いている。」と発言。周恩来の口から「藤井好直」などの名が出て、訪中日本医師団を驚かせました。
第33回 藤井 好直(ふじい こうちょく)[1815-1895]

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片山記を読みやすくして記載

FM福山の記事より

以下は残酷物語という本に書かれていた、片山記の現代訳をさらに読みやすくした文章です。

川南村には田の中に二つの小山があって、一つを碇山、一つを片山といてちるが、この片山は漆山ともよばれている。

もうはるか昔のことになるが、そのころはこのあたりは海で、漆をつんだ商船がこの山に停泊していていたところ、大風が起こって船を転覆させてしまった。

それからこの山を漆山と呼ぶようになったという伝説がある。昔はここを通った人は皆が漆にかぶれたそうである。最近、二・三年の間にも春から夏の季節の変わり目に、土地の人が田を耕すために入ると、足のすねに小さな発疹ができ、じつに耐えられぬほどの痛さ痒さであった。牛や馬も同じような目に合うのである。これは昔の漆の成分が残っているからだと人々は思ている。

さて、この病気にかかると下痢や嘔吐に苦しむものが多く、顔はしなびて黄色になる。ねあせをかき肉は落ち、脈はすっかり細くなって、ちょうど「ろうさい(昔の肺結核の呼び名)」にそっくりである。血やうみ汁を下すものあり、しばらくすると、四肢は削られたように痩せるのに、腹だけは膨れて鼓のようになる。乳の下には青筋が網の目のように浮かび、へその穴が飛び出る。ひどい場合は膨れ上がった腹の皮がてらてらに光って周囲の物の影が映るほどである。そして最後には足にはむくみが出来て落命するのである。

私はこの病人を診察したが、いまだに何という病気か見当もつかないのである。初めの症状から見れば結核のようでもあり、終わりの症状から見ればまさしく鼓腹(腹水?)である。病人には7・8歳の子どももいれば、4・50歳の者もいる。最も軽い寝なくても良い程度の症状は半年か1年で治るが、病が重ければ壮年の者でも死して鬼籍に入るのは免れることはできない。

私はこの病人たちを診察して彼らのいう事を聞くと、毒を抜いてもらいたいという者がいるかとおもえば、しこりを解いてほしいという者もいる。金に糸目をつけないで正気散(藿香正気散)を服ようする者もいる。四逆散を服ようする者もいる。他にも胃風湯、黄土湯、実脾散、柴胡、厚朴、七者三、承気湯なども用いたが、あらゆる薬をもってしても少しも効果が無かった。

この病気のために死ぬものは30人を越し、牛馬も数十頭倒れた。片山の病気が最もひどく、碇山がこれに次いでおり、同じ村内の丙谷、養老谷にも患者が出た。これら二つの集落は片山からかなり離れているが、症状が出た者は片山に耕作にいくことがあったとのことであった。そればかりでなく、隣の千田村でもこの病気が出るようになっていた。

果たして漆の成分にかぶれたのか、それとも水田に浸ってその湿気にあてられたものか、私には判断することが出来ない。私一人だけではなく、村民はそれぞれ好みの別の医者を迎えて幾十人もの医者がここで治療しているのだけれども、だれもこの病気を治したという話を聞かないのである・・・

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片山記の64年後に原因が判明

地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia

藤井好直の本『片山記』から57年後に、この病気の原因は人間の血管の中に住む住血吸虫によるものだと確定されています。

そしてその7年後に中間宿主がミヤイリガイという巻貝だと突き止められました。

実に64年後に正体が完全に判明したのです。

この記録は当時としてはとても詳細な記録だったと思います。そしてその記録がちゃんと見つけ出され今も内容が伝わっているのは、その病気がいかに特異で局地的だったかを物語っています。

三大流行した地域の中心地

どこも川の合流地です。ある一定の条件が必要なのは明白です。